私は「断酒を継続する為」に、このブログで断酒記録をつける事にしました。
今までアルコール依存症の専門病院に通院もして、ノックビン(ジスルフィラム)やレグテクト(アカンプロセート)も服薬し、何回も断酒に挑戦しましたが、最長3ヶ月程度で、心が折れることがあったり、ちょっとした油断からスリップしてしまい、断酒らしい断酒が出来ておりません。
4日頑張ってやめても、5日目で飲んでしまったり、そして、それから数ヶ月毎日飲んで、、、泥酔してやらかして、またやめて、、飲んで、、、また後悔して、そんなプチ断酒も含めると両手でも足りないくらい失敗を繰り返していると思います。
だからこそ、「何としても酒をやめたい」という気持ちは強くもっているつもりです。
今回の断酒を最後に、このまま、死ぬまで飲まずにいたい。100点の断酒を目指していきたい。それが心からの願いです。
でも、それって気負いすぎなんじゃないかな??とも思うのです。
断酒は失敗したら、それまでの全てが無駄か?
今日で断酒25日目なのですが、じゃあ、明日飲んでしまったら、この25日間が無駄になるのでしょうか。
私は、完璧主義なところがあるので、私個人の心情としては「完全敗北」です。
でも、別の見方をすると、1ヶ月を30日として、その8割くらい飲まずにいられたのですから、単月で評価すると80点という考え方もできる気がするのです。
もちろん、スリップすると、断酒で抑えていた飲酒欲求が爆発して、そこからまた歯止めが利かず、連続飲酒に陥ったり、ブラックアウトしたり、そこから問題行動を起こしたり、良い事は1つもありません。スリップは0点の行為であり、これを是とする事は到底、出来ません。
私が言いたいのはスリップした時点で、持ち点は0点になるけれども、それまで頑張った過去の努力は努力として残り、それが0点になるわけではないという事です。
何かで読んだのですが、断酒業界(?)には、「スリップせずに継続出来ている事が何よりも尊い」という共通認識のようなものがあるそうです。
例えば、
Aさん 3年断酒できたけど、スリップして、飲んだくれて亡くなった
Bさん 1年断酒して、その継続中に、不慮の事故で亡くなった
この場合だと、Aさんは残念な人という見方をされますが、Bさんは聖人として、惜しまれるという事です。
かくいう私も、そういう見方をしてしまうと思います。
断酒にのぞむ人は皆、10人いれば10人とも、酒をやめたくて断酒するわけです。
でも実際、最初から成功する人なんか稀で、何回も失敗を繰り返すのですね。
でも、私は完璧主義なところがあるので、
一度でも失敗すると「もう自分は完全にダメだ。もうダメになったのだから、あとはどうなっても同じ。」だと、諦めてしまう傾向があります。
アルコール依存症患者って、そういう真面目な(自分で言うな)方が多いと聞きます。
なので、私と同じような考え方の人もいるんじゃないかなって思うのです。
失敗が何だ!諦めるな!!
これは自分に向かっても書いているのですが、失敗したからといって何だというのでしょう。
先ほどから書いてるように、失敗しても断酒できてた日もあるわけで、そんな日は家族や友人とも穏やかな日々を送る事が出来て、自分の身体にも優しく過ごせて、酔っぱらって時間を無駄にする事もなかったはずです。
そんな過去は決して無駄な事ではなく、日々の人生の中で、キレイな1ページになっているハズです。
人生という本の中で、そういうキレイなページを少しでも多くしていくことが、大切なはずです。
失敗してもまたチャレンジすればいいのです。
断酒の目標は70点目指すくらいでちょうどよいかも
そういう事も踏まえると、断酒においての目標は70点くらいでちょうどよい気がします。
100点目指すと、気負いすぎて、失敗したときの絶望感がハンパないですから。
100点目指すと、1回失敗しただけで、もうダメっていう気分になりますから。
もちろん、それは「70点でいいやー!今日は飲んじゃえー!!!」ってことではないですよ。
真面目に断酒に取り組んで、でも、どこかでスリップしても、あまり気に病まず、あきらめることなく、また挑めばいいやくらいの、気楽さでいればストレスもなく、後で振り返った時により良い結果が期待できるのではないかという事です。
気の持ちようをそれくらいにしてはどうか、という事です。
そうした方が成功率が良かったというデータの裏付けがあるわけでもなく、私の個人的な考え方ではありますが、最近気負いすぎている事を自覚したので、心がけてみたいと思います。