断酒寸言集「山びこ」を考える2 ~断酒道五心 自分の過去失敗を常に忘れない 反省の心~

【はじめに】

断酒寸言集「山びこ」とは?
一般社団法人 北海道断酒連合会 (S61.10.1)当時の代表 原田ひろしさんが機関紙に掲載していた内容をまとめた本です。

断酒を支えてくれる金言に満ちています。

本ブログの「断酒寸言集「山びこ」を考える」シリーズでは
その内容を引用として紹介し、私なりの解釈で考えてみたいと思います。

断酒道五心 自分の過去失敗を常に忘れない 反省の心

心が素直になってくるにつれて、私は自分の過去の悪業が本当に恥ずかしくなってまいり参りました。

酒を飲んでの失敗の数々は、今思い出しても顔が赤くなり心臓が止まる思いです。

しかし、私の過去は酒を止めたからといって、もう一度やり直すことはできません。

とするならば、償いをしながら一生送るつもりでなければ真の断酒道は歩めない訳です。

私は死ぬまで「すまなかった」「すみません」と言い続けたいと願っています。

出典:一般社団法人 北海道断酒連合会 原田ひろし(S61.10.1).断酒寸言集「山びこ」

さだまさしさんの曲に「償い」という有名な曲がありまして、なんだかそれを思い出してしまいました。

以下、私自身への戒め意味も込めて書きます。

断酒が出来ていると、なんだかそれが誇らしいような気持になったりするのですが、

そんなのは大きな間違いだと思います。

元々おかしな飲み方をしてて、人に散々迷惑をかけて、、、

そしてそれを反省して断酒しているのです。

おかしな飲み方をしないのが当たり前で、

それが出来ないから飲まない(断酒している)ワケであり、

かろうじて普通の状態に戻れているだけなのだと思います。

一歩誤ってスリップ(再飲酒)してしまえば、あっという間に、元の大酒飲みの酒乱に戻ってしまう事でしょう。

それほど、危うい状況であるという事をいつも心に止めておく必要があると思います。

また、私は、飲みすぎると人を罵倒するような「暴言」を吐くという悪癖があり、普段は思ってもいないような事を言ってしまいます。

それは相手の尊厳を激しく傷つける最低なものです。

飲んで絡んだ序盤の記憶はあるので、翌朝、大変な後悔と自己嫌悪に襲われて、謝罪はするのですが、私が相手に与えてしまった心の傷は決して癒える事はないと思います。

いくら謝っても

本心で思ってなければ、ああいう事は言わないよね

と言われることがほとんどです。

(私自身が自覚できる思考や表層心理においては本当に思ってもいない事なのですが…)

でも、実際そんな事はどうでも良くて

「言ってしまった事」「行動してしまった事」これが全てなのだと思います。

悲しいことですが、いくら酒をやめたからといって、その過去をやり直す事はできないのですね。

傷つけた心は二度と元と同じ状態には戻らないのです。

そうだとするならば、私たちはどうすれば良いのか

それがこの方がおっしゃる「償い」という事なのだと思います。

犯してきた過ちを過去とせず

常に”その時点”で反省をし

その気持ちを具体的な「断酒」という行為で示す

相手が許してくれるとか、許してくれないとか、

そういう事に関わらず、この心構えで断酒を続けていく。

それが断酒道における「償い」であるのではないかと感じました。

過去は変えられませんが、未来は変えられます。

酒を止めずに飲んでいれば、これから先もさらに多くの人の心を傷つけるかもしれない、でも断酒すれば、それを回避する事ができる。

過去への「償い」は未来へ続いていくのだと思います。

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